平安朝の中頃、賀登上人(カトウショウニン)とその弟子日円上人が補陀落渡海(観音様の世界)せんとしている時、弟子日円上人が先に渡海して行ったので非常に悲しみ、この岩に身を投げかけたそうです。 その落ちる涙が不増不滅の水となったといわれます。
大師が一夜でとりいを作らせようとしたが、天邪気が鳥の鳴き声のまねをして大師は夜が明けたと思い、作るのをやめたといわれています。
この岩肌には大師が爪で「南無阿弥陀仏」と六字の名号を彫っています。
竜の駒(まぼろしの駒)が来て、この地に生えている根笹を食べる。そのためか、この地の笹はこれ以上大きくならないと言われています。